大正105年
カレンダーをめくり、2月欄に灯油配達日を書き入れた。
すると右端に 「大正105年」 「昭和91年」 とあるではないか。 「ついでに明治も入れときな! 」 一人ごちた。
母は大正7年生まれだから、元気でいれば98歳である。
毎月「一日」 母は 「おついたちには、お赤飯」 と赤飯を炊く習慣があった。
もち米ではなく、普通の米で炊いた「あずきごはん」である。
由来は神様に感謝する日だと言った、金が無く、小豆の買えない時は、お手玉を切腹させてまで、こだわったが、いつの間にかその習慣も消えて行った。 時々は 「一日」 に赤飯になった、お手玉を思い出す。
「お塩が無くなると、お金が無くなる」と言って塩を切らすことも嫌った。
居てほしかったなぁ・・・1か月位、温泉でゆっくりしたかったねぇ、今なら時間も何とかなるのに。
あの頃は忙しくて、とてもそんな余裕は無かった。
私は仕事を持ち、舅姑を含む5人家族の家事全般を切り盛りした。 働き盛りの夫は、ほとんど不在。
舅は「小品の会」を主催、会員が月に1回我が家で勉強会をもった。
姑もまた短歌をたしなみ、弟子を持っていたから、家事など一切しなかった。
そういうギリギリ生活の時に、母は入退院を繰り返したのだから、時間にもお金にも苦労したはずが、苦しかった思い出はない。
忘れてしまったのだ。 あの頃のことは、絵本の挿絵のように断片的に切りとられ、整理されている。
私の生活も挿絵となり、ひとひら、ふたひら流れて行く、人生って長くて、実は短いもの。
あちらへ行った家族に思いを馳せた。、エスカレーターで繋がっているから、ほんの少し先を行ってるだけだから、いつでも会える、会いたい時に会える。 今年は大正105年。
すると右端に 「大正105年」 「昭和91年」 とあるではないか。 「ついでに明治も入れときな! 」 一人ごちた。
母は大正7年生まれだから、元気でいれば98歳である。
毎月「一日」 母は 「おついたちには、お赤飯」 と赤飯を炊く習慣があった。
もち米ではなく、普通の米で炊いた「あずきごはん」である。
由来は神様に感謝する日だと言った、金が無く、小豆の買えない時は、お手玉を切腹させてまで、こだわったが、いつの間にかその習慣も消えて行った。 時々は 「一日」 に赤飯になった、お手玉を思い出す。
「お塩が無くなると、お金が無くなる」と言って塩を切らすことも嫌った。
居てほしかったなぁ・・・1か月位、温泉でゆっくりしたかったねぇ、今なら時間も何とかなるのに。
あの頃は忙しくて、とてもそんな余裕は無かった。
私は仕事を持ち、舅姑を含む5人家族の家事全般を切り盛りした。 働き盛りの夫は、ほとんど不在。
舅は「小品の会」を主催、会員が月に1回我が家で勉強会をもった。
姑もまた短歌をたしなみ、弟子を持っていたから、家事など一切しなかった。
そういうギリギリ生活の時に、母は入退院を繰り返したのだから、時間にもお金にも苦労したはずが、苦しかった思い出はない。
忘れてしまったのだ。 あの頃のことは、絵本の挿絵のように断片的に切りとられ、整理されている。
私の生活も挿絵となり、ひとひら、ふたひら流れて行く、人生って長くて、実は短いもの。
あちらへ行った家族に思いを馳せた。、エスカレーターで繋がっているから、ほんの少し先を行ってるだけだから、いつでも会える、会いたい時に会える。 今年は大正105年。